「わたしを救ったレメディー」安武ホメオパス編

FBに投稿された、各メンバーのホメオパシーバトンを、代理投稿でご紹介しています(^―^)

今回は、福岡校で長くセンターホメオパスをされていた安武ホメオパスの「わたしを救ったレメディー」です。


Sep.(シーピア/イカ墨)

福岡市東区で ホメオパシーセンター福岡香椎[くすのき]を開設しているホメオパス安武由希子です。
香椎には香椎宮という古くからの神社があり、その長い参道はくすのきの並木道になっています。
それにあやかり、センターの愛称を「くすのき」と名付けました。
楠の木(樟)は樟脳の原材料で、これを用いて解毒のレメディーとして知られるCamp.(カンファー)が作られます。
秋の香椎宮の境内では、地面に落ちた樟の実から強く芳しい香りが放たれ、そこに立っているだけで清々しく、身体中が洗われるような気分になります。
地味な神社ですが、お近くにお越しの時はぜひお立ち寄りください。
前置きが長くなりましたが、「私を救ったレメディー」は Sep.(シーピア)です。
10年ほど前のことです。
私がホメオパシーを知って初めて感動的な体験をしたレメディーがSep.でした。
ホメオパシーに出会って数ヶ月経っていましたが、レメディーを選んだり使うタイミングがなかなかつかめず、素晴らしい療法のようだけれど、どこか信じることができずにいました。
そんなある日、家事もできないほどの強い生理痛にみまわれました。
その時に選んだレメディーがSep.でした。
レメディーを口に入れたとたん、痛みは身体の上半身から足元へ向かって引き潮のようにスーッ、スーッ、スーッと全て引き去られていきました。ほんの数秒間だったと思います。
レメディー凄い!そして何て気持ちいいんだろう!と思いました。
これが「レメディーがヒットする!」ということなんだ。
鎮痛剤よりも凄い!
この時がホメオパシーは素晴らしい療法だと確信できた一瞬でした。
おまけの話です。
その時、なぜか、そばにいた娘もちょうど生理痛をおこしていて、なんと、私と全く同じようにSep.がヒットしたのです。
レメディーの凄さとともに、自分が産み育てた娘は、私と同じなのだと、愛しさとも申し訳なさとも混じった感情でいっぱいになりました。
幸せなことに、あの頃から今までもずっと、娘は私の一番のホメオパシーの理解者でいてくれています。
こんな小さな、でも感動的な1回の体験を一人でも多くの方に味わっていただきたいと思います。

「わたしを救ったレメディー」藤崎ホメオパス編

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今回は北九州で大活躍の藤崎ホメオパスの「わたしを救ったレメディー」。不思議で運命的なお話です☆彡


Cupr.(キュープロム/銅)

様々なレメディーをとり、その都度救ってもらってきましたが、
今回選んだのは、それと同時に不思議な体験があったCupr.というレメディー。
忘れもしない2012年6月6日。
世の中が金星の日面通過、と騒いでたときのこと。

当時、夫の帰宅は遅く、
自身の仕事をやりくりしながらの育児はワンオペ状態、
母の乳癌再発もあり、常にストレスフルな毎日。
その日、いつものように息子を寝かしつけ、
帰宅した夫の夕食の片付け。
夫は疲れ果て、リビングのソファでゴロゴロ。
そんな姿を見ていると、
いつものイライラやモヤモヤが我慢できなくなり、
叫びたいような気分に襲われ、頭が焼き切れるような感覚、
目の下がぴくぴく痙攣、手も震え始め、しまいには嘔吐。

「なんで私ばっかり、こんなに辛くてしんどいの!!!」

頭も働かず、とりあえず手に取ったキットの中から
ポロリと落ちてきたレメディー瓶の蓋を
やっとの状態であけ、舐め、
ただただその1本のレメディーを御守りのように握りしめ、
数回嘔吐しながら、
リピート、リピート、リピートしたのを覚えています。
しばらくして、落ち着き、
これでも起きないのか!と夫を見やったところ、
私の心臓、ハートの位置から何かがポコンと出て、
それがスッと寝ている夫の中に入り込みました。
一瞬目を疑いながら、でもなんか“わかった”のです。
「あ、お父さん。。。」

父は優しい人でしたが、九州男児。
母は結婚後、家事育児、自身の仕事に加え、
父の会社の事務作業や抱えていた職人さんたちの世話など、
睡眠時間を削って働いていました。
その母が乳癌になった時に言ったのが、
「若い頃のあの無理のせいかしら」。
父を責めることはなかったけれど、
身体の声に耳を傾けなかったことを、
とても後悔しているようでした。

大好きな、そして既に他界している父を悪く思うなんて
とてもできない、と思っていた私は、
その奥にある

「病気にするほど、無理させて!」
「お母さんを病気にしたのはお父さんだ!」

という感情に全く気付きませんでした。
そして、疲れ果て寝ている夫は当時の父の姿であり、
だからこそ夫にイライラしていたことに初めて気づいたのです。

この事件をきっかけに、
私の中のインナーチャイルドと向き合うこととなりました。
大好きだった父には何もないと思っていましたが、
大間違い。
取り組めば取り組むほど、夫に対する不満や不平は消え、
そしてホメオパシーを始めるきっかけになった
息子のアトピーも、劇的に改善していったのです。

Cupr.は私が選んだわけではありません。
でも、今となれば最適なレメディーだったと思います。
それは、金星に親和性のある鉱物。
金星日面通過のあの日に、Cupr.がポロリと落ちてきたのは、大いなるギフト。
金星は、美と愛の星。
私の愛情、両親や家族への愛情を心底から問われるきっかけとなりました。
金星と地球は、8年で5回会合し、一巡。
8年かけて美しい五芒星を空に描きます。
あの日描き始めた五芒星が閉じるのが、今年の6月4日。

この8年間で、母は亡くなり、夫とは離婚。
そして新しいパートナーと出逢いました。
息子はまだまだ可愛いですが、
少しずつ私の元を離れつつあります。
また、なんと、自分自身の乳癌とも向き合い、
それを癒すという大きな壁も乗り越えました。

そして、ただいま宵の明星すばらしく輝いてます!
その中で、この文章を書けることをとても嬉しく思います。
まるで、金星に見守られているみたい。

ホメオパシーに出逢って、
身体の様々な症状を取り去るだけでなく、
何より心を元気に、
そして魂が喜ぶような体験に導いてもらっています。
ホメオパシー、ありがとう。
長文、読んでくださった方もありがとう。
さっちん

「わたしを救ったレメディー」安藤ホメオパス編

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今回は「バトン来なかったら、誰かから奪おうかって思ってました。」と仰る安藤ホメオパスの「わたしを救ったレメディー」です。
Puls.(ポースティーラ セイヨウオキナグサ)
わたしを救ったレメディーと言うより、わたしの人生を変えたレメディーと言う方がピッタリくるかな〜。
人生が変わることで救われたレメディーです。
第1子を妊娠の際にお世話になった助産師の先生から初めてホメオパシーを教えていただきました。
出産後、しばらくホメオパシーとは離れていましたが、息子は月イチで発熱し、耳を腫らし、小児科と耳鼻科通いの日々。
途方に暮れたわたしはあの助産師の先生に相談し、再びホメオパシーのお世話になることになったのです。
中耳炎で抗生物質漬けになっていた息子が、耳を痛がって夜中に泣いていたところ、助産師の先生にアドバイスをいただいたポースティーラを1粒、息子に与えました。
あんなに耳を痛がって泣いて夜中に起きた息子がスースーとまた眠ったのです。
抗生物質は止めていたのに、耳鼻科の医者には良くなっている、と言われ、目が点!!
その他の、子どものいろんな症状にホメオパシーのガイドブック片手にレメディーを試しました。薬もなしにこんなに対応できるなんて!!と、いやぁ、おもしろいおもしろい。
あんまり、おもしろくって遂にホメオパシーの学校にまで入ってしまいました。
ホメオパシーの勉強を通じて、人生そのもの、人生の哲学から病気の意味、宇宙の法則などを学び、人生がガラッと変わりました。
考え方が変わり、食べものが変わり、生き方が変わりました。
自分でレメディーを摂らながら、インナーチャイルドに向き合うことになり、向き合うインナーチャイルドとの葛藤に悶々とする期間もありました。本当にあの期間は辛かったけど、今ではその期間も含めてそれまでの人生が光に包まれています。
息子のことを通じて、ホメオパシーを学ぶことで、自分のそれまでの人生までも振り返り、今までの人生があるからこそ、ここに繋がっていて、導いて教えてくれた息子にとても感謝しています。
あの時の助産師の先生は元気にしていらっしゃるようですが、訳あって、連絡がとれない状況になってしまいました。
あれから17年経ちますが、出来ればまたお会いしたい恩人です。大好きな先生です。
ホメオパシーバトン、みなさん、いろんな想いで受け取られて、ホメオパシーのレメディーによって救われているなんて、なんて素晴らしいことなんでしょう。
読んでくれてありがとう♪

「わたしを救ったレメディ」豊池ホメオパス編

FBに投稿された、各メンバーのホメオパシーバトンを、代理投稿でご紹介します(^―^)
まずは、豊池明子ホメオパスの「わたしを救ったレメディ」です。
福岡では、子沢山ホメオパスとして知られている(?)豊池です。
5人の子供の子育てをホメオパシー にサポートしてもらった私としては、
レメディーを一つ選ぶのは至難に近いものがありますが、
初めて奇跡を見せてくれた、Ars. (アーセニカム/ヒ素)にします。
20年近く前のことです。
その頃私は、末期癌を患っていた義理の母の介護をしていました。
義母は、全身に転移した癌の痛みと、抗がん剤の副作用に苦しんでいました。
そして、その痛みに耐えかねて、自分で命を絶ちたいとまで言っていました。
その義母の姿を見て、私までもが追い詰められた気持ちで日々を過ごしていました。
自分がどうかなりそうでした。
あまりに苦しくて、「神様どうか助けてください」とお願いしたら、
不思議なことに、「ホメオパシー」という言葉が頭に浮かんできました。
偶然か、いえ必然、同じ日、義母に付き添って行った病院の待合室、
何気なく手に取った週刊誌に、ホメオパシーの記事が掲載されていました。
そこに記されていた福岡本部の電話番号を夢中でメモし、
翌日、義母に相談会を受けてもらいました。
相談会で手渡されたレメディーが、Ars. でした。
Ars. をとってまもなく、
義母は、抗癌剤の副作用の吐気と
言いようのない身体のきつさが半減した、楽になったと喜んでくれました。
そして、気が付くと、義母は死にたいと言わなくなっていました。
一年後に義母は亡くなりましたが、最期の時まで、生ききるということを見せてくれました。
趣味の読書をし、千枚もの写経をしました。
Ars. は、食中毒(下痢、嘔吐)のレメディーとして、
そして精神的には、恐怖心を解放してくれるレメディーとして有名です。
抗癌剤の吐き気に苦しんでいた義母の肉体症状を癒し、
人生に絶望して無気力になっていた魂を救ってくれたのでした。
不安のあまり「今」を生きられなくなっているとき、
勇気を持って死と向き合い、
一瞬一瞬を大切に生きるということに気付かせる、
そんなレメディーだと思います。

猫とキュープロムと私

またまたFBからの転載です。

「私を救ったレメディー」
「わたしを救ったレメディー」ではないのですが、ヒットするとここまで劇的に効くんだなぁ、と感動したお話を。私は猫を保護してます。いや、保護というのはもっとちゃんと猫達のお世話をしてる人達が使うべきで、私のはちょっと違う。今は里親探しもやめてるし。ま、とにかく、多頭飼育と言われるほどの数の飼い猫と暮らし、食餌・(可能な範囲の)健康管理・避妊去勢をしている外猫達がいます。※外猫というのは飼い猫ではありません。その外猫の中に、どうも行動がおかしいなと思われる子がいました。自宅の敷地内に突然現れたまだ成猫になったばかり暗いの若い子で、私好みの茶トラくん。ひゃーひゃーと甲高い声でよく鳴いていたのが、発情がきてしまったのか、さらに大きな甲高い声で朝早くから鳴きます。去勢に連れていくつもりはあるものの、思い立ったが吉日的には連れてもいけずにいました。その頃、行動がおかしいのはもしかして声が聞こえていないんじゃないか?と思うようになりました。普通なら人間の足音を聞きつけそうな場面でも反応せず、けれどこちらを認識する(視界に入る)と逃げ出す。意識して大きめの声で後ろから声をかけてみても、無反応。先天的に脳に問題があったかもしれない子も外猫にはいましたし、骨折した子を保護したら癲癇様の発作を起こすようになった子もいました。どうもそれと同じ匂い(笑)がする。「甲高い声とかって、(ルーブリックに)ないよなぁ」と思ってTBRを開いてみたら、「金切り声、叫び声を上げる」というルーブリックが😲Cupr.かなぁ、と(脳だからという単純な考え)思っていたら、まさにCupr.(キュープロム・銅)とStram.(ストロモニューム・チョウセンアサガオ)が載っていました。次の日から食餌担当の母に「これをご飯にかけてね」と2つを水ポにしたものを渡しました。ドンピシャでした。ここまで大ヒットしたことはないというくらいに効果覿面でした。発情の影響も0ではなかったのでしょうけれど、レメディーが作用したことで落ち着いてしまったようでした。その後しばらくして、この茶トラくんは姿を見せなくなりました。もともと他でも餌をもらっていたようなので、そちらに落ち着いたのか、そうではない別の理由なのかは分かりませんが。姿を消されるともう外猫と関わるのは嫌だと思ってしまいますが、それでもこの子のしんどさ(と思えるほどの鳴き方でした)を少しでも軽くしてあげられたのなら良かったか、とも思います。

ホメオパシーとの出逢い

FBでやった「ホメオパシーバトン」の転載。
(このサイトのメニュー作成のために先に10個も記事作らないといけないから(T-T))

「私を救ったレメディー」
「わたしを救ったレメディー」と言えるほど、劇的な体験をしたことはないのです。普段もあんまりレメディーとらないし(^^;)痛い、熱あるかも、苦しい、とかを薬で楽にしてきたことが少ないうえに、ある時期からは「動物実験反対」という観点から薬を拒否してきたので、辛さを緩和させるという視点が抜けてるのです。ま、その程度の辛さだったってこともあると思いますが。なので、ホメオパシーを知ったのは能動的な行為の結果ではなく、動物保護絡みでネットで知り合った人から勧められて、でした。ある保護施設を助けるために、有志が現状報告をしたり、寄付を募ったりするためのサイト運営で、作業をする中、仲間が「Acon.(アコナイト)」を教えてくれました。「柿ちゃん、風邪ひきやすいから、これをとってみたらいいんじゃないかな。」とボラ仲間のSさん。記憶がすでに定かではないのですが(もう14年くらい前)、多分手持ちのを送ってくれたんじゃなかったかな?だから直後、「これはちょっとまずいなぁ」という体調の時に、ものは試しで摂ってみることができたのだと思います。これまで通りなら十中八九「風邪ひいた」状態になりそうな体調でした。睡眠とったり、温かくしたりすれば持ち直すタイミングはとうに過ぎてたから「あ~ぁ😞」という状態。よく分からない小さな粒でどうにかなるなんてもちろん思ってませでした。だからこそ、翌日、まったく問題のない体調で目を覚ました時は衝撃でした。この時のこの「Acon.」の1粒が、ついには私をCHhomへと入学する道に導いたのです。自分ではなく、猫達に基本キットやキッズキットを使う中、病院でもサプリでもどうにもできなかった、愛猫の厄介な口内炎の健康相談をし、見事に治癒した体験が「誰が何と言おうとホメオパシーは効果がある」と信じることができました。風邪で体調を崩した2匹の外猫を保護し、自分なりレメディー摂らせたものの、1匹は回復し、1匹は旅立ってしまい、もっと知識があったら助けられたんじゃないか(今思えば、インチャとマヤズム満載の思考ですが(^^;))、とファミリーホメオパスコースに。1年経つ頃には「もっと勉強したい」とプロコースへ。卒業して、認定試験を受けない中途半端なホメオパス状態ですが、今後どうするにしても、私の一生から、私のそばにいる猫達から、ホメオパシーが消えることはないでしょう。敬愛するとら子先生を筆頭に、Acon.を勧めてくれたSさん、友人ホメオパスの「ねーちゃん」ことSさん、数多くの諸先輩ホメオパスさん、CHhom他のスタッフの方々、そして何より私の元にやってきて去って行ったたくさんの猫達に感謝しています。今、私がここに愛する仲間達といられるのはみんなのお陰です。たった1つの小さな小さな、取るに足らないような砂糖粒が人生を変えたお話でした(笑)

もうすぐ1年

CHhom福岡校が閉校してもうすぐ1年ですね。
閉校が決まった旨のメールを受け取った時の衝撃を今でも覚えています。
今もあの場所がなくなったことは寂しい。

けれど、今、多くの仲間達との繋がりが強くなったなぁと感じます。
「ホメオパシーが好き♪」、その氣持ちで繋がっている仲間達。
会えると楽しくてし嬉しくて仕方がない。元の性格が人見知りだとはもう言えないくらい、会う人会う人とお喋りも弾みます(^^;)

福岡校がないことで不便なこともあるけれど、だからこそできることもあるのかなと思います。個人的には、それをきっかけに先輩ホメオパス達と仲良くなり、かつては思いもかけなかったことをしています。
だからさらに1年後、どんな変化が私達(九州沖縄のホメオパシー仲間)に起きているか、ワクワクしませんか(^―^)?